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影郎デザインワークス

EyewearBrand「ラビリンス」を発信する影郎デザインワークスの公式ブログ。取扱い店のお問い合わせはkagero@octn.jpまで
西成ウォーキングですごいもの見た
旅に出てもウォーキングする。
今日は新今宮から難波まで歩いてUターンし飛田新地という遊郭街を通って帰るルートを選択した。

やばい内容なので以下ブログ削除しました。


| 今日の影郎 | 20:23 | - | - |
昔取った杵柄を思い出す為の修行

「老後は自分のお店を作って自分の作品だけを自分の手で販売したい。」

そんな夢を持っていた。だからこれまで地元岐阜県内には取引店を作らずその時の為に在庫の最後の1本だけは卸さずに保存してきたんだ。日本にどれぐらいメガネ屋さんがあるか知らないが自分の作品を自分の手で売るメガネ屋さんなんてカムロさんやアキットさん、ユゲタカノリさんぐらいかな。そりゃもう楽しくて仕方がない。

その夢を追及するにあたって心配な事がある。

それは検査や加工などメガネ屋さんとしての技術面を忘れてしまっている事だ。私は大学卒業後の20年間メガネ屋をやって検査や加工技術も身につけたんだが、独立して眼鏡デザイナーになってからは15年間一度も検査も加工もしたことがなかったんだね。だからどこまで覚えているのか不安でならなかったんだ。

そこで本日大阪の取引店ヤスノリ眼鏡さんにお邪魔させてもらい、昔とった杵柄を思いだすための修行をさせていただくことになったんだ。

20年間検査や加工をやったといっても年月だけでは語れない。

つまり従事した年月ではなく何人のお客さんをこなしたかが問題である。

当時はバブルがはじけた頃とはいえ検査台に行列が出来るほどの客数がきたからね。

2人検査が続いたぐらいで忙しかったと満足している今のメガネ屋さんとはくらべものにもならず1日100人検査した日とか1日200本のメガネを加工したことなんて珍しくもなんともなかったんだね。

まさに戦場。しかし検査担当者だけが1日椅子に座って仕事をできる特権を持っていたから裏方の加工よりも私は好きだったんだ。

ひとりで100人検査するのだから要所要所を抑え、簡潔明瞭に相手に伝え、余計な会話や手を抜ける部分は抜き、両眼視機能検査やプリズムなど時間のかかる検査を要するお客は暇な時間帯にもう一度お越しいただいたこともあったんだ。だからスピードと手際の良さに関しては今でも自信がある。でもね。今は誰のせいかしらないが眼鏡が売れない時代になってしまい、やたら長い検査時間がサービスとして受け取られかねない時代になった。まるで風俗だ。

だからこの年齢で再勉強をしにいくわけだ。それでは行ってきます。

| 今日の影郎 | 08:56 | - | - |
お風呂の日本史

 ポストを開けたらGWの集客を期待してか温泉地からの案内状が届いていた。

私は温泉に行くのは好きだが温泉に入る事自体はそれほど好きじゃない。接客業ではなくなった今、風呂を我慢しろと言われたら1週間ぐらいは入らなくても大丈夫かもしれないよ。

 

それにしても 温泉、温泉・・・・ってそんなに温泉が好きなのかね・・・

家庭のお風呂の給湯ボタンを押すだけでいつでも入れるしいつしかそれが当たり前になっており深く感謝もしていないわけだ。わざわざ温泉に行く必要もないわけだ。

でも考えてみてよ。そもそも行水しかしたことがない昔の人にとって温泉ってさぞかしありがたかったんじゃないかな?

だって街にお湯が沸いているんだからね。

 

 そこで私は謎にぶち当たった。

それはお風呂の日本史。

 

どこかの誰かと誰かが合戦をしたなんて歴史は知ってる人も多いけど、日本人の文化や風俗の歴史を知る人は少ないんだ。

我々が知らない昔の時代の人はどうやってお風呂に入ってたのかな?そもそもお風呂というものが何時代からあったのかな?

以下バスクリンさんのHP(https://www.bathclin.co.jp/happybath/%e5%85%a5%e6%b5%b4%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2-2/より抜粋

入浴の歴史 日本編

日本人の入浴の歴史は仏教伝来とともにスタート
入浴トリビア

お風呂の歴史は大変古く、6世紀から。
昔から単に「体を洗う」だけではなく、健康や福を得るためのものという考え方は、
お風呂好きな私たち日本人に現代も受け継がれていると言えるでしょう。

 

6世紀〜安土桃山時代

始まりは6世紀に渡来した仏教の沐浴

仏教では汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事と沐浴の功徳を説いたと言われ、多くの寺院で浴堂を構え施浴が行われたと言われています。

また、入浴は七病を除き七福を得るという教えもあり、寺院へ参詣する客を入浴させたとも言われています。
なかには、入浴を目的としてお寺へ出かけた人もいたかもしれませんね。

昔は「湯」と「風呂」に分かれ、今のお風呂とは違いました。

昔は「湯」とは今でいうお風呂と同じで「湯」に体を浸すものでしたが、一方「風呂」は蒸し風呂のようなもので蒸気を発生させ、その蒸気に人間が蒸せられて、垢をこすりおとし、掛け湯をするというものでした。
現在のサウナのようなものです。このお風呂の後で着替えるものを包み、また実際お風呂に敷いた布が、現在の「風呂敷」です。ただこのお風呂というのは贅沢なもので、たまに入るものであり、一種の娯楽だったようです。武士や一般庶民は普段は水で体を洗う「行水」、または水でただ汚れを落としていたようです。

江戸時代〜明治維新

お風呂文化は江戸時代に「湯」と「風呂」が混同、銭湯ができる

お風呂文化は江戸時代に大きく変わりました。安土桃山時代の終わりに銭湯が出現して、江戸時代には庶民が銭湯を楽しんだようです。このころの風呂はまだ蒸し風呂が主流で、膝から下が湯に浸かる、半身浴が中心でした。まだ上級武士しか内風呂がありませんでした。
江戸時代の初期に肩まで浸かる「据え風呂」が登場しました。この当時の風呂は、薪を燃やして風呂釜を直接温めるタイプの風呂が主流で、「鉄砲風呂」「五右衛門風呂」はこの当時に出現したものでした。

江戸時代の銭湯は混浴が中心。ペリーも困惑!?

江戸時代の銭湯は混浴が多く、今とは違い大らかでした。しかし、寛政の改革、天保の改革では風紀が乱れるという理由で、混浴も一時禁止となりましたが、明治維新までは混浴が続いたそうです。黒船にのってやってきたぺリーも「混浴」という文化の違いに困惑してたようで「ペリー艦隊日本遠征記」にその模様を記しています。

昭和以降

銭湯から内風呂へ

そして、明治大正が終わり昭和となりそして戦後の高度成長期を向かえ、風呂付の団地が大量に建てられました。内風呂が一般化しました。
最近ではお風呂で精神的な疲れから開放されたいということやリフォームブームが相まってお風呂そのものが大きくなり、内風呂にも係わらず1.5坪といったスペースのものが出てきました。

(抜粋終わり)

 

 

 

これで大体解ったかな?

ご家庭に風呂が出来たのは昭和からって事だね。

そうそう。

外人さんはお湯に浸からないって聞いた事あるけど今度機会があったら外国人からみた日本人のお風呂事情についても述べるとしよう。

 

写真は山梨市のほったらかし温泉

温泉自体は別府や登別、穂高温泉の方が好きだが、このほったらかし温泉の富士を見ながらはいる温泉は好きだ。

 

| 今日の影郎 | 18:42 | - | - |
本日のボツデザイン


私の考えるメガネはマスクに近い。本性を押し隠しているのか、それとも奥底に隠された本性を表現しているのか、
つまり隠そうとしているのか、逆に晒そうとしているのかわからなくなる。その内に本当の自分がどちらなのかすら理解できなくなる。人間はそんな単純なものではないからね。


| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |
無計画な空間

地域の人が前を通りがかった時に怪訝そうな顔をしてこちらを見てくる。

勇気のある人はペンキまみれで作業中の私に尋ねてくる。

「なにかやるんですか?」

 

突然街にこんな空間が出現したのだから無理もない。

なんとかその疑問を解決させたい一心で聞いてくるのだが、当の私は「さあ・・・よく解らないんです」としか言いようがないんだ。

 

人間はある目的のために計画し、ある目的のために努力し、ある目的を達成しようとするが、、、、

その目的自体がない。あるいは解らない。

そんな事態に陥った時にこそ謎を秘めた芸術が生まれるのだろう。

 

カミサンに怒られた。

「どうせなにか作るのならばちゃんと定規を使ってキチンとつくれば?」

しかしカミサンは知らない。

定規どころか設計図も原案もないんだからね。

 



 

ペンキの刷毛やバケツ、軍手を捨てるのは勿体ないから壁に打ち付けてやった。

 

| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |
動物の見方

大人になってからは動物園が大好きになった。

オッサン一人で動物園に行くことにも抵抗がなくなった今、年間パスポートを買おうかなと思ってるぐらいだ。

 

そう聞くと可笑しなオッサンだと思われても仕方がない。

動物を可愛いか可愛くないかだけの基準で、まるでアトラクション的な見方でおとずれる人にしてみれば私の行為は変人そのものだろう。でも1匹の動物が檻の中で生きていく試練を人間は強要してるのだからそこから人間は一生懸命学ばせてもらわないといけないんだよね。たとえば命の大切さとか自然の大切さや残酷さとかをね。檻の中に入れられて可愛いか不細工かだけの基準で見られては動物もたまったもんじゃないからね。子供料金は高くてして大人料金は安くしてもええんちゃう?って感じ(笑)

 

名古屋の東山動物園の方がこんなコメントを出していた。

「東山動物園には500種以上の動物がいて、来園される方々はどの動物もご覧頂きたいという思いにあると思います。
いろいろな動物園での調査から、一般的に来園者の方々が1つの動物をながめている時間は1分もないと言われています。お子さんは次々と新しい動物に行きたいだろうし、親御さんもいろいろ見せてあげたいという思いからなのだと思います。しかし、1分もながめていない、つまり「ゾウさんだ」「キリンさんだ」といって確認する程度に見るだけだと、その動物の生活やあるいは1個体ごとの個性というものを捉えることは難しいものです。仮に寝てばかりいる動物だとしても、じっくり見ることによって「何で寝てばかりいるのだろう」と思えたり、今度はもっと早く来てみたら違う様子が見られるかもしれないと考えたりできるようになります。そうやって少し時間をかけてみる事で個体ごとのの違いなども見えてくると、その動物たちに対する思いもまた変わってくると思います。暑い昼間は寝ているばかりの動物たちも、開園すぐの時間は結構活発に動きまわったりしています。見る時間を変えてみたり、今日はこの動物の様子を、次回はあの動物をとその日毎の動物を決めてじっくりと眺めていただくと、今まで以上に動物を見ることが楽しくなると思います。是非とも何度も動物園に来ていただき、動物の素晴らしさを「観て」くださればと思います。
再生整備課企画官  上野 吉一」

 

なんかこのコメントを聞いてると私が小売店さん向けの展示会に参加しなくなった理由に似ている気がする。

せっかく一生懸命考えてデザインしても会場が分散してしまったせいでメガネ屋さんがあちこちに行かなければならなくなってじっくり見てくれなくなったからね。じっくり見る時間もない展示会に出展するなんて誰もこない動物園の檻に入れられるようなもんだ。(あっ話題がそれた。)

 

仕事柄メガネのイベントはよくやってきたけどたった一度だけ東海地区の取引店さんを集めて動物園遠足をやった事がある。

あの時はもっと動物の勉強会的なものにすればよかったと今更ながら反省している。

大人だけで行く動物園遠足をやるよ!ってこのブログで募集をかけても誰も集まんないだろうな・・・

 

 下の写真は高崎のダルマにゴリラの顔をペイントしたもの。

我ながら良く出来てると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |
本日より仕事再開。

完治ではないですがいつまで休んだって始まらない。本日より発送業務やプロジェクトのお仕事を再開させて頂きます。

来週はある職人さんと合同で大阪でデザインの勉強もあり気合いを入れなきゃいけません。







| 今日の影郎 | 12:46 | - | - |
本日のボツデザイン「理解不能なもの」

理解しやすいものの方が需要が高い。ただし理解されたとたんに無責任にも飽きられてしまう運命にある。その繰り返しもやがてアイデアは尽きてしまい過去に遡って同じ繰り返しを強いられる。
私はそれをデザインだとは思ってない。報われないのはわかっているがそこだけはこだわっていたい。
つまり理解されてたまるかって事だ。









 

| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |
鯉のぼりの川下り
上流に向かって鯉が登っていればまた違う風景なんだろうが今日は下流に向かっての風だったので鯉の川下りとなってしまった。

体力回復のために大垣から約一時間のママチャリサイクリング。JR垂井駅から1キロほどの相川という川にこの時期一面に鯉のぼりが飾られる。










さあ、帰って仕事、仕事。
| 今日の影郎 | 11:32 | - | - |
低レベルな街だと?!!

 地元サイクリングマップを作るために各所の写真を撮っていたんだ。

すると旅行者らしきおじいさんが私に話しかけてきた。

 

「この街はいつもこんなに人がいないのですか?」

 

聞くと東京中野区からその爺さんは来たそうだ。

たしかに大垣駅前はバブル期こそ繁盛しただろうが今やシャッター街と化している。

「古い街は人間も古くなる。ここに限らずどこもこんなもんじゃないですか?郊外の方が大きなショッピングセンターも出来てにぎわっていますよ」と答えた。

 

 

するとその爺さんはこんな事を言いやがる。

「低レベルな街だな・・・」って。

私もいささか大人になったので大人の対応をした。

「おじいさん。たとえ低レベルだとしても地元民の私にそんな事言うもんじゃないですよ」って教えてあげたんだ。

 

こう優しく対応すれば吐いた暴言を反省してくれるだろうとてっきり思っていたのだが、

なんとその爺さんはさらに追い打ちを掛け吐き捨てるように言うんだよ。

「こんな低レベルの街は東京にはないよ」と続けるんだ。

口があまり閉じないらしくヨダレをダラダラ垂れ流しながらも悪態はパワーを増してくる。

今までの私ならば思いつく限りの反撃をするのだが、何度もいうが私も大人になったのでたった一言

「ならばすぐ帰れよ。この低レベルジジイ」

とだけ言い残して先を急いだんだ。

 

 歳を取ってくるとだんだん空気が読めなくなる。

空気は読めるのかもしれないが空気自体が時代によって良くも悪くも変化してしまいそれに気付かないだけなのかもしれない。

若い人に合わせて時代に同調するもよし。時代の変化を無視して自分を貫くもよし。

好かれる老人もいいがとことん嫌われる老人がいてもいいのかな・・・なんて思ったりした。

だってこの爺さんの世代が今の日本を支えてきたのは間違いないことだからね。

どうだ。大人だろう?

読者の皆さん。好感度上がっただろう?

 

 

 

 

 

 

 

| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |