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影郎デザインワークス

EyewearBrand「ラビリンス」を発信する影郎デザインワークスの公式ブログ。取扱い店のお問い合わせはkagero@octn.jpまで
メガネ屋修行終了


大阪寺田町のヤスノリ眼鏡さんで修行させていただきました。社長、奥さん、池やん、ミカさん、いろいろ教えていただきありがとうございました。
それにしても15年のブランクがあると検査機器や加工機器の進歩に驚かされる。とはいえ結局は掛け枠とテストレンズだけでのアナログな検査方法をマスターするのが重要なんだよな。15年のブランクがあるとはいえ20年もやってきたからその基本は不思議と忘れていなかったので安心。

さて夜が明けたら万博記念公園内国立民族博物館で原始芸術を見ながら、そして太陽の塔の内部を見ながらデザインの勉強をする。
岡本太郎さんは言った。「芸術は呪術だ」と。その意味がわかる唯一の場所がここなんだ。

上手とか下手とか綺麗とか可愛いとか、そんな単純な判断基準では到底太刀打ち出来ない凄みや呪いと対峙するつもりだ。
私のデザインはどんどん危ない方向に向かうことだろう。

| 作品案内 | 00:30 | - | - |
西成ウォーキングですごいもの見た
旅に出てもウォーキングする。
今日は新今宮から難波まで歩いてUターンし飛田新地という遊郭街を通って帰るルートを選択した。

やばい内容なので以下ブログ削除しました。


| 今日の影郎 | 20:23 | - | - |
昔取った杵柄を思い出す為の修行

「老後は自分のお店を作って自分の作品だけを自分の手で販売したい。」

そんな夢を持っていた。だからこれまで地元岐阜県内には取引店を作らずその時の為に在庫の最後の1本だけは卸さずに保存してきたんだ。日本にどれぐらいメガネ屋さんがあるか知らないが自分の作品を自分の手で売るメガネ屋さんなんてカムロさんやアキットさん、ユゲタカノリさんぐらいかな。そりゃもう楽しくて仕方がない。

その夢を追及するにあたって心配な事がある。

それは検査や加工などメガネ屋さんとしての技術面を忘れてしまっている事だ。私は大学卒業後の20年間メガネ屋をやって検査や加工技術も身につけたんだが、独立して眼鏡デザイナーになってからは15年間一度も検査も加工もしたことがなかったんだね。だからどこまで覚えているのか不安でならなかったんだ。

そこで本日大阪の取引店ヤスノリ眼鏡さんにお邪魔させてもらい、昔とった杵柄を思いだすための修行をさせていただくことになったんだ。

20年間検査や加工をやったといっても年月だけでは語れない。

つまり従事した年月ではなく何人のお客さんをこなしたかが問題である。

当時はバブルがはじけた頃とはいえ検査台に行列が出来るほどの客数がきたからね。

2人検査が続いたぐらいで忙しかったと満足している今のメガネ屋さんとはくらべものにもならず1日100人検査した日とか1日200本のメガネを加工したことなんて珍しくもなんともなかったんだね。

まさに戦場。しかし検査担当者だけが1日椅子に座って仕事をできる特権を持っていたから裏方の加工よりも私は好きだったんだ。

ひとりで100人検査するのだから要所要所を抑え、簡潔明瞭に相手に伝え、余計な会話や手を抜ける部分は抜き、両眼視機能検査やプリズムなど時間のかかる検査を要するお客は暇な時間帯にもう一度お越しいただいたこともあったんだ。だからスピードと手際の良さに関しては今でも自信がある。でもね。今は誰のせいかしらないが眼鏡が売れない時代になってしまい、やたら長い検査時間がサービスとして受け取られかねない時代になった。まるで風俗だ。

だからこの年齢で再勉強をしにいくわけだ。それでは行ってきます。

| 今日の影郎 | 08:56 | - | - |
お風呂の日本史

 ポストを開けたらGWの集客を期待してか温泉地からの案内状が届いていた。

私は温泉に行くのは好きだが温泉に入る事自体はそれほど好きじゃない。接客業ではなくなった今、風呂を我慢しろと言われたら1週間ぐらいは入らなくても大丈夫かもしれないよ。

 

それにしても 温泉、温泉・・・・ってそんなに温泉が好きなのかね・・・

家庭のお風呂の給湯ボタンを押すだけでいつでも入れるしいつしかそれが当たり前になっており深く感謝もしていないわけだ。わざわざ温泉に行く必要もないわけだ。

でも考えてみてよ。そもそも行水しかしたことがない昔の人にとって温泉ってさぞかしありがたかったんじゃないかな?

だって街にお湯が沸いているんだからね。

 

 そこで私は謎にぶち当たった。

それはお風呂の日本史。

 

どこかの誰かと誰かが合戦をしたなんて歴史は知ってる人も多いけど、日本人の文化や風俗の歴史を知る人は少ないんだ。

我々が知らない昔の時代の人はどうやってお風呂に入ってたのかな?そもそもお風呂というものが何時代からあったのかな?

以下バスクリンさんのHP(https://www.bathclin.co.jp/happybath/%e5%85%a5%e6%b5%b4%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2-2/より抜粋

入浴の歴史 日本編

日本人の入浴の歴史は仏教伝来とともにスタート
入浴トリビア

お風呂の歴史は大変古く、6世紀から。
昔から単に「体を洗う」だけではなく、健康や福を得るためのものという考え方は、
お風呂好きな私たち日本人に現代も受け継がれていると言えるでしょう。

 

6世紀〜安土桃山時代

始まりは6世紀に渡来した仏教の沐浴

仏教では汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事と沐浴の功徳を説いたと言われ、多くの寺院で浴堂を構え施浴が行われたと言われています。

また、入浴は七病を除き七福を得るという教えもあり、寺院へ参詣する客を入浴させたとも言われています。
なかには、入浴を目的としてお寺へ出かけた人もいたかもしれませんね。

昔は「湯」と「風呂」に分かれ、今のお風呂とは違いました。

昔は「湯」とは今でいうお風呂と同じで「湯」に体を浸すものでしたが、一方「風呂」は蒸し風呂のようなもので蒸気を発生させ、その蒸気に人間が蒸せられて、垢をこすりおとし、掛け湯をするというものでした。
現在のサウナのようなものです。このお風呂の後で着替えるものを包み、また実際お風呂に敷いた布が、現在の「風呂敷」です。ただこのお風呂というのは贅沢なもので、たまに入るものであり、一種の娯楽だったようです。武士や一般庶民は普段は水で体を洗う「行水」、または水でただ汚れを落としていたようです。

江戸時代〜明治維新

お風呂文化は江戸時代に「湯」と「風呂」が混同、銭湯ができる

お風呂文化は江戸時代に大きく変わりました。安土桃山時代の終わりに銭湯が出現して、江戸時代には庶民が銭湯を楽しんだようです。このころの風呂はまだ蒸し風呂が主流で、膝から下が湯に浸かる、半身浴が中心でした。まだ上級武士しか内風呂がありませんでした。
江戸時代の初期に肩まで浸かる「据え風呂」が登場しました。この当時の風呂は、薪を燃やして風呂釜を直接温めるタイプの風呂が主流で、「鉄砲風呂」「五右衛門風呂」はこの当時に出現したものでした。

江戸時代の銭湯は混浴が中心。ペリーも困惑!?

江戸時代の銭湯は混浴が多く、今とは違い大らかでした。しかし、寛政の改革、天保の改革では風紀が乱れるという理由で、混浴も一時禁止となりましたが、明治維新までは混浴が続いたそうです。黒船にのってやってきたぺリーも「混浴」という文化の違いに困惑してたようで「ペリー艦隊日本遠征記」にその模様を記しています。

昭和以降

銭湯から内風呂へ

そして、明治大正が終わり昭和となりそして戦後の高度成長期を向かえ、風呂付の団地が大量に建てられました。内風呂が一般化しました。
最近ではお風呂で精神的な疲れから開放されたいということやリフォームブームが相まってお風呂そのものが大きくなり、内風呂にも係わらず1.5坪といったスペースのものが出てきました。

(抜粋終わり)

 

 

 

これで大体解ったかな?

ご家庭に風呂が出来たのは昭和からって事だね。

そうそう。

外人さんはお湯に浸からないって聞いた事あるけど今度機会があったら外国人からみた日本人のお風呂事情についても述べるとしよう。

 

写真は山梨市のほったらかし温泉

温泉自体は別府や登別、穂高温泉の方が好きだが、このほったらかし温泉の富士を見ながらはいる温泉は好きだ。

 

| 今日の影郎 | 18:42 | - | - |
本日のボツデザイン


私の考えるメガネはマスクに近い。本性を押し隠しているのか、それとも奥底に隠された本性を表現しているのか、
つまり隠そうとしているのか、逆に晒そうとしているのかわからなくなる。その内に本当の自分がどちらなのかすら理解できなくなる。人間はそんな単純なものではないからね。


| 今日の影郎 | 00:00 | - | - |
マルボロしか吸えない自販機




| 作品案内 | 19:15 | - | - |